福岡市赤坂:万来 フツーの凄みがプロフェッショナル。

shin_papa402007-04-11

ボクが中学生か、高校生の頃。
NHKでは朝昼の連続テレビ小説のほかに、銀河テレビ小説という連続ものをやっていた。
連続テレビ小説がNHKの顔なら、銀河テレビ小説は制作費も安くて劇団員などの登用も多く、言ってみればNHKドラマ界のファームという位置づけだったのかもしれない。


あるとき、郡上八幡の町で展開される短編をやっていた。
東京から夢破れて主人公の男が帰ってくる。
田舎には口うるさい母親が一人。
家にいたたまれなくて、子供の頃から通っているラーメン屋に昼飯を食いに行く。
ココロがささくれ立っているその若者は、漫画本を開きながらラーメンを口にして、昔馴染みのラーメン屋の親父に毒づくのだ。
「親父はいいよなあ。毎日こーんな不味いラーメン作ってればいいんだから」
すると店主が
「ばかやろー。旨いか不味いか知らないが、毎日同じ味を出すのにどれだけ手間掛けてると思ってんだ」
と返すのである。
それから25年近くたつのにこのやり取りを覚えているのだから、若かったボクに何か響くところがあったのだろう。


最近、プロとアマの違いを意識することに出会い続けている。
例えば振興IT制作会社のうちの一部だと思うけれど、日経ビジネスとかハーバードビジネスビューに載っているようなことはいえるけれど、自分でアイデアを出せというと、どこかで聞いたようなプランしか出せないところがあった。
例えば実績を主張するNPOだけれど、話がたどたどしくて聞いていられないこともあった。
振興IT会社は、その担当者が社会人としてビジネスを捉えるということができていないんじゃないかと感じた。
NPOの場合は、NPOという働き方のスタンスが社会にもその構成員にも確立していないんだなと思った。


プロとは…なんて話をすると、どこかの社長による訓示みたいになるけれど。
そのうちのひとつは、発注者の期待値に応え続ける仕事の質の安定性だと思う。
学生のプランナー志望の子が、努力をして素敵なHPや企画を作ることがある。
往々にしてそれを実力と思ってしまう。
けれど次に作ると前のモノの亜流を作ったり、別のものだとモノすごくパワーダウンしていたり。
つまり波がある。
けれどプロは、最高レベルのものを毎回作っていく。
あるいはそれよりも低いレベルかもしれないけれどある程度のものをコンスタントに作っていく。
なぜならばそれが発注者の期待を裏切らないからだ。


その大事さを学生やNPOや、社会人としてビジネスを捉えきれていない人には理解できてないのではないかと、思う。
いや、この話は、本当は左記リンク先「しんぱぱの九州は味の魔大陸」の「就職活動」のコーナーで書くつもりだったのだけれど。
この万来のちゃんぽんのことを書こうとしたら、これを書かないわけにはいかなくなった。


さて昨日は陽気もいいのでちょいと社外に歩いて昼飯を食いに行った。
歩いて5分で万来である。
周囲には、ガラスケースから好きなおかずをチョイスできる「丸林」食堂や、濃いお好み焼き屋がある赤坂市場などB級グルメの名店が軒を並べる。(中には値段が分からん≒どうやらめっちゃ高い寿司屋もあるという話だ)


入ってマンガ本を棚から取りながら「ちゃんぽんください」と頼む。
5分も待てばおっちゃんが持ってくる。
いつもながら野菜の盛りがいい。
じゃあ、どれどれとレンゲでスープを啜る。


トリガラと豚骨のミックスがベースかな。
ちょいと甘みを感じるから砂糖なんかも投入してあるかも。
昔風の安心感がある味である。

野菜は。
凄いぞ。
これだけの繊維質を食べれば明日の便通は約束されたようなモンである。
玉葱が甘い。
モヤシ、キャベツがしゃきしゃきと。

赤いちゃんぽん専用のカマボコがニチャリとテクスチャーに変化を加え、適度な塩味を補給する。
気をつけて見ると、キャベツと同サイズに切られた薩摩揚げが柔らかい歯ごたえで、これは隠し味のような存在感。
薄切りの豚肉も結構多い。

いいないいな。

そして麺。
フツーの製麺所の麺と思っていた。
クチナシなんかで色でもつけているんだろうなあ。
そう思いながら良く見ると。
おおお。
やや黄色味がかった麺は透き通って小麦の存在感を主張している。
しかも少し扁平したその麺は、製麺所製かもしれないけれど、それでも別注だ。
よくよく食べてみるとモッチリとした食感。


ざっかけない普段使いのちゃんぽんだと思っていたけれど、凄い技術の集大成かも知れん。
今まで漫画読みながら食べたりしていた態度を少し反省した。


ここに行こうと周囲を誘うと、あまりにフツーなので応じてくれる同僚は少ない。
けれどここはいつ行っても同じ味、同じボリュームという期待に応えてくれる。
そこには、野菜や薩摩揚げの切り方だとか、麺の吟味だとかいろいろの努力があったのだ。
昨日はそういうわけで、フツーななりをしながらも実は隠れたワザ使い満載で、ボクらの期待に毎回きっちり応えてくれるその努力に大変感動したんである。