鹿児島市山之口町:華蓮 〆のラーメン投入は禁断の味。
「しゃぶしゃぶって、いいよね」とコトバを交わすことがある。
さすがに35歳40歳と年齢を重ねてくると、ガッツリと肉に食らいつくというのが重たく感じられるようになる。
そういうとき、フトしゃぶしゃぶ屋というのが魅力的になってくるのだ。
野菜もしゃぶしゃぶするから何となくヘルシー感がある。
薄くスライスした肉だから、食べる口数が多くても量は食べないだろう。
さらに肉を湯の中で揺らすからアブラ分が落ちる。
それをサッパリぽん酢とか、ゴマダレで食うのである。
大人の肉の食い方じゃないか。
先日は鹿児島へ行ったということもあり、仲間内で「夕食は黒ブタしゃぶしゃぶ」と暗黙のうちに決定していた。
昼間から予約を入れ、それでも予定よりも1時間以上遅れて(その都度、「遅れます」連絡を店に入れるのは絶やさなかったが)入店したのは午後9時。
この店、ラストオーダーは午後10時。
皆でメニューを覗き込む。
選ぶ目つきにもチカラがこもる。
「黒ブタと黒牛の半分盛りのセットをお願いします」
ややあって、そのうちの一人がオーダー。
肉が運ばれてくるまでに20分ほど待つ。
オーダーストップの時間がやたら気に掛かる。
そして肉が出てきたら皆で一斉に、しゃぶしゃぶしゃぶしゃぶ…。
というよりも、「肉、投入」といったほうが早いか。
湯から引き上げた黒ブタは脂肪の部分もシャックリとした味わいでうまいうまい。
牛肉も安心のウマさ。
そういえば数年前まで「しゃぶしゃぶは牛肉」と決まっていたし、家の中でこそ家計を浮かすために「豚しゃぶ」というメニューがあったが、今や鹿児島の「黒ブタしゃぶしゃぶ」はしゃぶしゃぶ界の一大ブランドとなった。
そうこうしているうちに午後10時が近づく。
「シメはオジヤにしますか?うどんを投入しますか?」
仲居さんが尋ねてくる。
結構腹がくちくなってきたボクら。うーんと唸っていると、
「ラーメンも、できますよ」。
何と魅力的なお誘い。
しかも知る人ぞ知るメニューで、腹いっぱいでも別腹のように入るんだそうである。
食いたい。
でも、なんだか気になる。
「腹いっぱいでも別腹のように入る」…?
それって、ブロイラー状態のことではないか?
しかも「アブラが落ちるから」といってしゃぶしゃぶを食っているのに、そのアブラが落ちた湯をスープとして使うのである。
それってリデュースリユースリサイクル…ってやつじゃないか?アブラの。
などと逡巡した結果、
「ラーメンにしてください」。
意思が弱いのである。
仲居さんが持ってきた器の中には、豚骨ラーメンのコンクで希釈前のものが入っている。
その上にニンニク香をつけたラー油だろうか、ふりかけられていて魅力的な香りが漂う。
おー、確かにこれだけでも「別腹」だ。
仲居さんが麺をしゃぶしゃぶ鍋の湯の中に投入。
少々縮れがある、細麺の卵麺だ。半生タイプか。
すぐに麺は煮えるから引き上げて器の中に投入。さらにしゃぶしゃぶ鍋の中の湯を器に足す。
黒ブタと黒牛のダシが濃厚に香るスープである。
黒ブタと黒牛のアブラが濃厚に溶け出したスープでもある。
色んな想いが去来するが、まずは麺を啜る。
ずずずず…。
うめい。
ああ、うまいなあ。
細麺だからスープを多く絡め取って口の中に入ってくる。
スープも旨いなあ。
腹は一杯だが、入るなあ。
思えばトッピングは何も無しの麺なのだ。
けれど十分。
うまみのリデュースリユースリサイクルは、むかし親父が食っていた鯛の丸焼きと骨湯のような関係ではある。
それは清貧にも似た爽やかさを感じる天賦の栄養に対する感謝である。
けれどこれは。
メタボリック促進サイクルてな感じか。
禁断の味である。