福岡市赤坂:我が家 ネイティブ系の食味に唸る。

shin_papa402007-09-22

ボクがサラリーマンマーケター駆け出しのころ。
もう20年も前のことになる。
日本と中国の蜜月の時代でもあり、戦後様々な理由で中国大陸に残された遺児の帰国事業が行われていた。
戦後40年。
遺児の方々も40〜50歳くらい。
本人の記憶も残っているかどうかということと、
彼らを残さざるを得なかった彼らの保護者は60〜80歳くらいと、
物理的にタイムリミットだったのだろう。
確か今から数年前に残留孤児の帰国事業は打ち切られたと思う。


そうして帰ってきた方々は国の補助もあったろうが、
いろんな経済的困難に立ち向かわなくてはならなかった。
不幸なことであるが、その中から素敵なものも生まれてくる。


当時ボクが働いていたのは東京池袋のサンシャイン60という高層ビルの中だった。
昼飯時になるとその高層ビルからワラワラとサラリーマンがビル周辺の飯屋に下りていく。


そうした中に、ひとつの中華料理屋が誕生した。
中国から帰ってきた残留孤児の方が開いたという話だった。
正式な名前は忘れてしまったが、ボクらは(大変失礼ながら)「残留飯店」と呼んでいた。


たとえば残留飯店でユーリンチー定食を頼むと。
要は鶏の唐揚なんだが、骨と皮ばかりの安っぽい揚げ物が出てくる。
だがそれに絡められているタレが甘辛くて絶妙に旨かった。
ついつい、少ない肉を歯でこそげ取るようにして齧るのである。
中華料理というのは、安い材料にひと手間をかけて旨くして提供するということが、基本コンセプトだと分かった。
努力が、何倍もの金になって返ってくる。
素材が安いほどリターンは大きいし、中華料理はその素材の多様性や汎用性に優れているということも分かった。


さて、赤坂で微妙にファンを増やしている中華ダイニング「我が家」であるが、当然残留孤児の方ではない。
だがネイティブの方々が、上記中華料理の王道を突き進んでいるのが手に取るように分かる店である。
それは悪いことではない。
店に活気を生んでいる。
アイディアや元気がモリモリ湧いてきているようである。


さて、昼飯をどこで食おうかと歩いていたクソ暑い秋のお昼どき。
我が家のランチは何かな?と覗いてみると、この日のAランチは「野菜いっぱいあんかけ焼きそば」とある。
最近メタボが気になるボクとしては「野菜いっぱい」にメチャ心を動かされたのである。


入って頼んで数分。
出てきた…。


すんごいボリューム。
「野菜いっぱいあんかけ焼きそば」は、「野菜いっぱい」の「あんかけ焼きそば」ではなくて「野菜」が載った「いっぱい盛り」の「あんかけ焼きそば」ということだったのかも知れん。


でもまずは、食う。
最初は餡としてかけられている野菜関係から食べないとイカンな、この場合。


そこで最初はキャベツ、たけのこ、ネギ、にんじん、キクラゲ、イカ、豚肉の餡をワシワシと食ってみる。
意外と塩味は薄い。
これはメタボにはうれしい設定だが。
その薄味を引き締めるように、ニンニクのかけらが時たま口の中で存在をアピールする。
おお、この直後に打ち合わせを入れてなくてよかったよ。


そして麺。
焼きそばだから、ちょっと炒められて…と思うが。
麺じたいに油が回っていることはない。
むしろ乾いた感じである。
不思議な食感。
餡を絡めて食べるとクニュとなって面白い。
少し焦げたところなどは香ばしさが出て、軽い歯ごたえと相俟って初めての味である。
麺の断面を見ると、中空糸膜の拡大版のようになっている。
ほほー。
面白いことを考えて、形にしてんなあ。


ま、一度食べてみてください。
日替わりランチでなくても「あんかけ焼きそば」というメニューがあるが、それが今回の「『野菜』『いっぱい』あんかけ焼きそば」と同じものかは分からん。


あ。
そのような知恵を見て、感心したからといって、
安易に「中国4000年の歴史…」とかは口が裂けてもいわんぞ。
あれは即席麺のCM用に日本で造られたことばで、最初は「中国3000年の…」といっていたものだ。
わずか30年で、最近では1000年分も増えて「中国4000年の味」などと使われている。
最近では当の中国人が喜んで使っていたりする。
そうなるとこれは「白髪四千丈」とか「怒髪天を衝く」とかの荒唐無稽的強調表現の世界である。
中華料理が現在の形に近いところまでまとまったのは清朝のころで、実のところ200年くらいの歴史しかないというのが、正しいところらしいぞ。
かといって中華料理の価値が下がるかというと、無論そんなことはないのでそこんとこヨロシク。