東京鎌田:華香楼 化調はボクらが忘れたパワーの源。
羽田から早朝便で福岡に帰らなければならないとき、ボクはよく蒲田に泊まる。
そういう日の前夜は遅くまで会議(ま、飲みですが)をやることが多い。
深夜に投宿して早朝にチェックアウトするから毎回実質的な蒲田滞在は5時間くらいか。
さてそうして深夜に蒲田の宿に着くわけだが。
都心からタクシーで20分とか30分とか。
結構酔いも一段落してきて。
それで止めときゃいいのに「ここで寝る前にもう一押し、いっとこうか」という気持ちになるのだ。
その晩もそうしてフラフラと宿から街に彷徨い出る。
だがすでに酔っていることもあってそう遠くには行く気が無い。
と。
目の前に中華料理屋さんが2軒。
その1軒にご入店。
イラッサイマセエという訛った挨拶にネイティブ感がゴーンと高まる。
まずはビールとキクラゲ炒めを頼み、
それをつまみつつ、麺を物色。
「ネギそば、ください」
酔い頭にはキリッとしたネギの辛味が効くであろう、そういうことを期待してオーダーしたんである。
しばらくして出てきた。
綺麗な醤油スープの上に白いネギがこんもりと。
チャーシューの切り身がアクセントのようにところどころ見えている。
そして黒胡椒がデフォで散らしてある。
見た目結構な美麺である。
で、いつものようにまずはスープをレンゲでズズズと。
ん?
もう一度、レンゲでズズズと。
んーむ。
これは、今となっては懐かしい化調バリバリスープではないかいな。
ねっとりと舌の脇や裏にまとわりつくような甘みのような旨み。
口中のスープを嚥下すると酸味のような苦味のような後味が跡を引く。
ここまでくると、これは相当に懐かしい。
思えばその昔「旨いダシ」というのは多分ごく一部の人々に許された味覚であったろう。
そこそこ旨いダシは、手間をかけられる多くの人々が手にしていただろうが。
それを、手間をかける時間が無い庶民と、今まで「旨いダシ」を口にしたことが無かった庶民が楽しめるようにしたのが化調である。
功罪はある。
だが、ボクらもほんの少しまで喜んで食べていたのだ。
ボクはここの化調勝ちのスープを口にして、
却って化調を喜んで使った時代のバイタリティを思い出していた。
昭和38年生まれのボクは幼少の時代に、その時代の空気に少しだけ触れている。
貧しいけれど昨年よりも今年のほうが世の中全体に少し豊かになっている時代。
それが何とはなしに世の中全体の共通認識として蔓延している、豊かさへ向かって前向きな空気のミナモトだった。
毎年「ご同慶の至り」を皆で言い交わせる時代。
みなが自然とバイタリティ(≒方向性)を持っていた。
中華スープの取り方だって本式でやれば相当面倒くさいだろう。
ここだって本式でとって、
それに化調を加えることでさらに多くの「使えるスープ」としていることと思う。
そうして安価に多くの客にそれなりの旨さの料理を出しているのではないか。
そこにある意味ボクらが失ってしまったバイタリティを感じるのである。
欲に対する正直さを見るのである。
ここの麺はボクにとって、
旨い不味い以前に、
そういうバイタリティをさらけ出す自分、そういうバイタリティに溢れる世の中というものへの
郷愁を猛烈に感じさせてくれた。
これを思い出すことは、
もしかすると日本の底力に近づく第一歩かもしれない。