熊本市下通:桂花 成り下がったのか成り上がったのか。

shin_papa402009-10-04

 「ほぼ日記」ブログでも書いたように出身中学校の同窓会があった。
 懐かしい顔が並び、午後からのホテルでの一次会に続き、夜はビアホール2階個室での二次会、そしてスナックでの三次会へと流れた。


 三次会場を出たのがシンデレラタイムをすぎた真夜中。よいこの時間はとっくに終わっている。
 クラブ通りという道なのだろうか、道路は酔客が右往左往するいい感じの混み方。
 そういう光景を見回していると。深夜なのに燦然と輝く「桂花」という文字発見!
 「あ、桂花が…」
 と口に出した瞬間。
 「しん○○君、やめときなよー」と同級生F嬢の声。
 どうやら最近のこのブログを見てくれているようで。画像に出している麺がどんどん大盛り系になってきているので、いい歳してメタボ体型なのに何やってんのよと心配してくれていたようなのだ。


 「やめときなよー」って同級生からいわれて、ふと小学生の頃のことを思い出した。そういう風にいわれるときって「きっと先生におこられるよー」とか「先生にいいつけるよー」とかがセットになっていたような気がする。そういう「やめときなよー」をいわれなくなってどれくらいたつのだろう。もしかすると今の時代、同級生からいわれる「やめときなよー」は死語になっているのかも知れない。


 その後皆と別れて家路につこうとしたが、どうにも何か落ち着かない。
 ということで足は自然と桂花の方へ。


 食券を買ってカウンター席に座る。
 U字型のカウンターの向こうにはいわゆるアフターのお姉さんとおじさん。おじさんは一心不乱にラーメンを食べているが、お姉さんの方は箸の先でつつくだけ。時折シナチクや茎わかめを口に運ぶくらい。


 前にも書いたが、ボクの幼少の頃は貧乏だった。ボクんちだけではなくて周りにも比較的貧乏な家が多かったと思う。そうした中での外食は贅沢だった。それはラーメン一杯であっても例外ではない。
 たまに父母から桂花に連れて行ってもらうと、もう、一心不乱に食べたものだ。まわりのお客さんだってそうだ。大人の人たちだって丁寧に食べていた。作って出す方も食べる方も一生懸命、そんな時代だった。


 目の前のアベック(カップルではなくあえてそういうが)は、おじさんがラーメンを食べ終わったところで席を立った。時間は午前2時前くらい。お姉さんのどんぶりにはチャーシューも含めて大方のラーメンがそのまま残されていた。


 これは一生懸命に食べられるような麺の位置から桂花のラーメンがそういうものへと成り下がったのか。あるいは適当に食べ散らかして残すことができるくらいにボクらのありようが成り上がったのか。


 それを考えているうちにボクの前に頼んだラーメンがやってきた。
 まずはスープをズズズッと。うまい。豚骨のスープ、マー油の濃い香りと苦み、それらが口を満たし、喉へと下っていく。うまい。
 麺をたぐる。太めのニチリとした麺。麦のうまさが舌の上に広がる。子供の頃に食べたときと同じだ。


 「やめときなよー」という言葉が脳裏に浮かぶ。たしかに脂分、塩分がどんぶりの中に満たされている。この歳だ。メタボ体型だ。それでも懐かしいこの麺を深夜に啜るボクは成り下がったのか、成り上がったのか。そう思いながらスープまで飲み干した。


 少し重たくなった腹を抱えて、複雑な気持ちで少し心まで重くなって深夜のタクシーで帰路についたのであった。