那覇市沖映通:大福 「すば」に久しぶりに出会った。

shin_papa402009-10-07

 20数年前。
 沖縄の仕事のマーケティング担当となって。
 最初に行うのは既存文献調査だ。いろんな文献や政府発表データなどからデータ的な特性を把握する。そのうえで実地に行ったり、把握した仮説を実証するための調査をやる。

 その基礎データのひとつとして県民が愛するものなども調べてみた。そこで出会ったのが「すば」。


 今は無科調のものが沖縄内外でもてはやされ、すっかりひとつのオーセンティックな沖縄食文化としての位置を占める「沖縄そば」。けど当時は地元のヒトしか行かない食文化のひとつだった。東京からの旅行者は「そばじゃないじゃーん」などといって、食べた経験を「…だろ〜」と恐怖体験のように話すのが主流だった。沖縄のヒトも「そばじゃないですからね、すばですからね」と言い訳がましかったのだ。


 スープは鰹だしと豚骨だしのブレンドが主流。それに化学調味料がぶち込まれてまったりとした深みを持たせていた。麺はうどんに近いがフニュとした不思議な食感。トッピングは肉のかたまり。それに紅ショウガは欠かせなかった。確かに今風に言えばB級きわまりない食べ物だったのだ。


 うどんの上に肉のかたまりが乗っている…。その特異性は中国料理由来だろうか。そう考えて横浜中華街のそういう店に行って食べたりして考察したんだが、中国の肉乗せ麺とは根本的に違うことを確認しただけだった。


 当時沖縄のヒトは「すば」を「そば」と言いたかったのだが、日本そばの手前、声高に言えないというジレンマを抱えていたようだ。
 確かに日本そばの狂信的ファンは沖縄「そば」に、そば粉を使っていないという理由で文句を付けていた。10年ほど前の雑誌エスクアイアの沖縄特集でさえ、ライターがそう書いていたくらいだ。


 でも沖縄のヒトは言い返せば良かったのだ。そば粉を使っていない麺類をそばと呼ぶなというならば、「焼きそば」という言い方はやめろ、「支那そば」「中華そば」も一切やめろ、と。一般的日本語では、細い麺類を便宜上「そば」ということが多いじゃないか、と。ただその頃の沖縄のヒトは慎み深かった。標準語に対するコンプレックスがあったかも知れない。何しろ方言札の記憶が若い人びとにあった時代だ。


 そういう時代の「すば」は、化調ばしばしで、それはそれで旅情があった。
 唯一無化調な雰囲気だったのは首里のさくら屋くらいではなかったか。
 なぜ化調がばしばしだったのかについてはさとなおさんの怪著「沖縄ヤギ地獄」に詳しい。


 ただ、クソ暑い沖縄の夏の仕事の合間、そのようなキッチュな旨さと塩分が冴えた「すば」を食べると、意外や心身ともに復活するような気持ちになったものである。そのイミではまぎれもないB級のそれが、ボクの沖縄初体験時代のソウルを思い出させる食べ物ということになる。


 そういう「すば」に久しぶりに出会った。味クーターだ。分かりやすい味だ。紅ショウガが毒々しい。そしてこれを出してくれるおばちゃんの笑顔がいい。
 近年の洗練された沖縄そばを食べつけているボクにして、ああ、久しぶりに「すば」に出会ったと感動した逸品だった。
 あるイミおススメだ。沖縄そばの基本は確かにここにある。