諫早市天満町:ドラゴン食堂 タイガーになりきれない食べ手の僕。

 諫早といえば役所広司だ。
 彼のテレビドラマデビュー作(時代劇にはその前から出ていたらしいが)といえばフジテレビ系の「親戚たち」。1985年、僕が大学2年の頃に放送された。
 都会から帰って来た役所広司が、大手スーパーへの土地売却計画や反対運動に割れる親戚たちのありかたに巻き込まれて行くという内容だった。その土地は広大な干拓地だったと記憶している。そのころから諫早といえば「干拓」問題である。

 当時つきあっていた女性とはそれぞれ地域の人間模様をそれなりに分かったつもりになっていたこともあって、よくこのドラマのことを話題にした。僕はリアルで面白いといい、彼女はリアルすぎて視るのがイヤだといった。案の定、その1年半後には彼女に振られることとなったが、その話はこの際関係ない。


 諫早は難しい町だ。嘗ては西彼杵、東彼杵、島原半島、長崎方面を結節する交通の要衝として栄えた。だが高速道路や高速鉄道の整備によって、通過される町となってしまった。残されたのは県内唯一といっていい「平坦な農地」。干拓によって江戸時代以前より営々と人々の手によって造られ続けた平地である。県内の殆どがリアス式海岸か、海岸から急に海底が落ち込んだ地形となっている。唯一この諫早あたりだけが遠浅の海岸で、それが干拓を人々の営みとさせてきた。
 干拓地では極めて良質の農産品が穫れる。平地がない長崎県で、この干拓地が安定的に作物が穫れる農業生産や、心の支えになって来たことは想像に難くない。僕も「平に広がる水田」の風景を、この干拓地以外では見たことがない。殆どは(いま、労働の場として捨てられようとしている…観光的には見直されて来ている)棚田である。

 しかしその農業も、流通が大手流通に収斂されることによる農産物の規格化=価格競争激化=農産物価格低迷の流れによって、経済の活力を失って久しい。

 そうして昔の栄華の足跡はあるものの、いまや、しんと静まり返っている町、そういうふうに諫早の町が見えるのである。


 その日の午後も、道を歩いているのは僕だけだった。
 6月の梅雨前の晴天の日。道路は白く日差しを照り返し、湿度もむわんと襲ってくる。
 諫早駅から本諫早駅方面へ。本諫早駅島原鉄道の駅で、諫早の町としてはJRの駅前よりもこちらのほうが栄えていたろうと思う。


 そういう町の一画にドラゴン食堂がある。
 店の風体はちょっと不思議だ。
 なにしろ「ドラゴン」である。
 店の前に出前用だろうか、「ドラゴン食堂」というフレーム看板をつけた自転車が置いてある。ドアにも店名が書いてあるが、よくあるチャンポン屋のように朱色とかで主張していない。映画にでも出て来そうな、ちょっと癖がある兄ちゃんがやってそうな店構えだ。

 ドアを開けて入ってみる。僕の目は癖のある兄ちゃんを捜す…と、カウンターの中にいたおばちゃんと目が合った。
「ちわー。チャンポンください」
「はいー」
 小柄で、そこはかとなく品を感じるおばちゃんである。不思議だ。チャンポンを厨房奥に頼んだところをみると、奥のほうに「癖のある兄ちゃん」がいるのだろうか。


 しばらくして、チャンポンが出て来た。
 思わず笑った。
 盛り盛りだ。
 某店の桜島級には及ばないが、諫早だから多良岳級とでもしておこうか。

 まずはトッピング(まさにトップ!であるなあ)をワシッと箸で掴み、食べ始める。熱の通し過ぎか、ちょっと豚肉が硬めになっているが、なにしろこのボリュームである。そんなものはご愛嬌。


 スープは長崎では良くあるタイプ。白濁ではなく褐色系。甘み辛み、そして肉野菜と一緒に炒められた旨味が良く出ている。


 このお店と、このチャンポンと。実にバランスが絶妙。そしてうまい。ここだから、うまい。ちょっとノックアウトされた感じ。
 諫早に来て「親戚たち」の世界をなぜか思い出してしまう空気感が、目の当たりに感じられたです。