熊本市健軍:めんきち 家族の絆が深まる夏のラーメンだなあ。

 認知症の母がいる。
 僕の名前は既に脳みそのどこかへ埋もれてしまっている。けれど母の幼少の頃に過ごしたあたりの町名や、その町の名物だった饅頭の名前は覚えている。
 母のもとを訪れるたびに僕の名前をいってみて、覚えていないことを確認しつつ、その彼女の反応を探りながら、町名や饅頭の名前を耳元でいい、笑かすのが楽しい。幼少の頃の思い出は楽しいらしいし、また(見知らぬ)男性から知っている言葉が出てくる意外性も感じるらしい。僕としては昔の知識を動員しながら、少しでも母の脳みそに刺激を与えているという実感がある。
 母の中から僕の記憶が遠のいて行く数年間は実に寂しかった。けれど、いまは彼女の笑顔が見られるのが楽しみだ。
 このような悠長なことをいっていられるのは、日本で介護保険法が整備され、そのような介護施設ができたことが大きい。その意味では社会に、そして介護士さんたちに僕ら家族はとても助けられている。


 先日は妻と娘と一緒に、母の食事の時間を狙って施設を訪れ、食事介助をした。妻が「茄子ですよ〜」「鶏肉ですよ〜」「黄瓜ですよ〜」と都度いいながら母の箸の運びを手伝っている。言葉で補ってあげないと、どうやら何を食べているかというイメージも結べないようなのだ。そうして美味しいといいながら母は昼ご飯をほぼ完食。拙いながらも自ら手を動かし食べてくれるということはありがたいことだ。


 しかし、そういう楽しみをいつまでも続けるというわけにはいかない。
 この施設にお世話になってしばらく経つが、そういう母を残して施設を去るときは今となっても辛い。
 どうにも落ち着かない僕がいる。なんだろう。別れる寂しさの他に、介護士さんに委ねて去るという現実を受け入れざるを得ない瞬間だ。その瞬間を過ごすのがどうにも辛くてたまらない。


 さて、その施設を出て、僕らもお昼ご飯を食べようということになった。
「どうせ熊本にいるのなら、熊本らしいものを食べたい」と妻が主張。
 なればと、その施設にほど近い熊本ラーメン「めんきち」へ。
 妻は関東の出身だが、熊本ラーメンは好物のひとつ。


 店の中には父と息子の先客が一組。
 僕らがこの店名物の「ネギラーメン」を頼んだ後、彼らのテーブルに「チャーシューメンセット」が運ばれてきた。まるで巨大花「ラフレシア」のようにドンブリからダラリダラリと垂れ下がるチャーシュー。それを親は「どうだ」と息子に笑いかけ、息子は驚きながら箸をとっている。
 ああ、この店は夏の休日、父と息子のそういう共通体験の場になっているのだね。


 そして僕らの前にはネギラーメンが。
 炒められたネギが細かく切られたチャーシューと合わされてドンブリの上にこんもりと。そのネギ、ニュルリとして実に食感がいい。そのニュルリを受け止めるのがシッカリとしたテクスチャのチャーシュー。
 スープは正統熊本ラーメン。ニンニクの香りを活かした香油は抑えめになっており、スープの素性の良さを引き立たせている。
 うまいなあ。
 横目で見ると、妻も娘も美味しいといいながら食べている。

 食べていると、家族連れが2組、連続で入って来た。
 それぞれ大盛りラーメンやネギラーメンなどを頼んでいる。


 この店、表通りから少し入ったところなんだけど、町のラーメン屋さんとして本当に根付いていることが分かる。親がこの店の味を愛し、そして子供を連れて来て皆で食べる。そうして子供もこの味やこの町のことを心に刻んで行くんだろうなあ。