はじめに。 なぜに九州は麺の魔大陸なのか。

オリジン。
イマジンじゃないよ。世界平和を願っているとかのHPぢゃないからね。

とうもろこしは、黄色い粒々が整列してびっしりついているというのがボクらの常識だ。しかしその原産地である南米の市場に並ぶとうもろこしは、黄色や紫の粒が整列せずについているのも多いと聞く。起源の近くにさかのぼれば、優性もしくは利用価値によって統制・洗練されたものではない、いろいろな失われたバリエーションに出会える。もちろんモノゴトの本質がいつも生き延びたもの、洗練されたものにあるとは限らない。紫のコーンの粒もまたとうもろこしの真実なのである。

さてここで登場するのは聖一国師である。鎌倉時代建仁2(1202)年〜弘安3(1280)年を駆け抜けた好男子(なはず)である。駿河に生まれ18歳のとき奈良東大寺で戒律を受けて僧となり34歳のときに明にわたる。40歳のときに帰国。博多の津に降り立ち、大宰府の嵩福寺、博多の承天寺肥前万寿寺にて開山。
この承天寺滞在時に、国師が「羹・饅・麺」を伝えたという。承天寺では国師の命日に今でも「羊羹、饅頭、うどん」をお供えしている。
国師禅宗の僧で、今の常識から想像するのは危険だけれど質実で洗練された食生活の最先端をもたらしたのだと思う。
は「あつもの」。鳥肉や魚肉などをすり下ろして小麦粉や米粉を加えて整形し煮たり蒸したり焼いたり。
は「まんとう・まんじゅう」。中にアンコや、肉野菜などの菜を入れて小麦粉や蕎麦粉などをこねた生地で包んで蒸したり焼いたり。
は「めん」。汁に入れたり、そのまま手繰ったりだけど、小麦粉や蕎麦粉、米粉で作る。そして茹でたり焼いたり。
つまりは全部穀物の粉の使用法バリエーションである。
平安時代の日本にも「ほうとう」というものがあった。「和名類聚抄」(別名「和名抄」・承平4(934)年頃できた百科事典)に「小麦粉を練って広げて四角にきったもの」というのが出てくるらしい。おそらく蕎麦掻きなどもあったろうから、穀物をそのまま炊いて食べる、場合によっては粉にひいて食べるということはあったのだと思う。ただしそれまでの製粉は碾き臼などで一度にごく少量しかできなかったんじゃないかな。国師の持ち帰ったものの中に水車の力で機械的に製粉する装置の絵がある。これで穀物の粉の量産が可能になったのだろう。粉にすることで口当たりがよくなるとか料理のバリエーションが増えるとかだけではなく、消化もよくなる。国師が伝えたのは、本当は「羹・饅・麺」ではなくて「水車による製粉という技術」だったのではないかな。

そして次の立役者が博多の名物商人・謝国明氏である。この人について語るとそれだけで大変なことになるので、ここでは鎌倉時代のグローバルビジネスマンという紹介にとどめる。
この人がフィランソロフィー感覚に優れていたのか、時の行政に取り入るためか、はたまた博多の地域社会の一員としての役割意識に目覚めていたのかはしらないけど、承天寺を建立したり飢饉や疫病のときのボランティア活動に奔走したり、イカシタことをやってくれている。そしてまさに飢饉や疫病のとき、自分が蓄えていた蕎麦粉で、博多の衆上に「そばがき」を振舞ったという。

粉食は本来手間がかかるものであった。そして多くは寺社や為政者に供された「お料理」の俎上のものであった。ということは一般民衆の口に入るものではなかったのである。当然一般民衆には未知の味・口ざわりである。人間というものは知らないものへの欲求は存在しない。

この謝国明が自分とこの「粉」を一般民衆に食べさせたというコトをもって、日本における一般民衆の粉食への欲求が初めて生じたのである。

讃岐では1400年前に空海がうどんづくりを広めたという。しかし讃岐うどんの良店が土器川流域など、製粉水車を設置しやすいところに分布していることを考えると讃岐のうどんづくりも本当は国師が持ち帰った製粉装置技術以降のような気がする。
例えば今ココに乾燥した麦を出されて「ほれ、うどん作ってみ」といわれても困る。粉をこねて塩を加えて…という工程も大変だが、まずどうやってこれを粉にするかというところで徒手空拳のボクはお手上げになってしまう。国師はこの過程に大いなる産業革命を起こしちゃったんである。そして謝国明が民衆の粉食への欲求に火をつけちゃったんである。

その火は最初に九州、博多に着いちゃった。そして燎原の炎のごとく、ずいーっと日本国中へ広まったと考えるのが筋というもんであろう。

さて、ごく最初のうちに火がついた九州である。今九州をおしなべて見てみると、不思議な麺がたくさんある。多分発想が自由なんだろうと想像する。それはメディアに取り上げられる「ラーメン何とか」の「自由な発想」というのとは違う。もっと根源的である。味の求道者とかではないのである。冒頭に述べたとうもろこしのようなもの。

想像を絶する麺の魔大陸、九州。自由な発想の不思議な日本の麺食のオリジン。これからご一緒に楽しみましょうね。