熊本市黒髪:味千 昔懐かしい味に、パシパシの演出…。

shin_papa402006-12-24

味千ラーメンといえば、昭和50年代に熊本で多感な青春時代を送った諸兄には懐かしい響きである。
そもそも熊本ラーメンの基盤を作ったのは味千、桂花、こむらさきと言われてきているのだ。店屋(みせや)のラーメンはちょうどボクらの子供時代に、多分味覚形態的な文化的統一がなされたのだろう。僕らよりちょっと上の世代が懐かしむインスタントの熊本ラーメンの代名詞であるアベックラーメンは、ボクらが熊本ラーメンと呼ぶ店の味とは似ても似つかない。


このブログで熊本ラーメンの立役者のひとつである味千をいじくっていないことに気がついた。
それは少々理由があった。


ボクらの子供の頃は、街角にオバちゃんオッちゃんがやっているラーメン屋が必ずあった。どの町内にも、あった。戦後寡婦の働き口としてラーメン屋があったとは前に書いたが、その頃はもはや戦後とは呼ばれない時代だ。熊本ラーメンに変革の(ま、体制内変革ですが)波が押し寄せていたのである。


そのひとつがチェーン店の勃興。
札幌ラーメンとかが、軒先を伺っていた。
熊本には街ごとの個店のほか、天琴という大変にゆるやかなボランタリーチェーンのような数店があった。そこに覇権的に広がったのが味千である。
その味千はセンターキッチンで元ダレとスープ、そして麺を調理して各店に配送していた。その先の、店ごとの味の管理はそれほど厳しくなかったらしい。
それが味千の味の世代的記憶の喪失に繋がった。何しろ店ごとに味が違うのである。
だがそれは他方、「あの街の味千はうまい」という、店への探究心を持つきっかけにもなっていったのである。

ボクらのお気に入りは水前寺競輪場の近くの味千であった。
元の具材やスープは同じなのであるがが、この店はデフォルトで「焦がし炒め阿蘇高菜」が入っていたのである。丁度坦々麺で刻みザーサイが調味料として使われていたようなものだ。
この香ばしさや香りのニュアンスがたまらなかった。

ちなみにボクの街の味千は、フツーだった。
夜、酔っ払いが多く通る辺りの味千は油ギッシュだった。
このように差が出るというのは、フランチャイズチェーンとしてユルイものだったのではないだろうか。


そういう思い出がある味千であるが、数年前からまた変化が始まった。
新横浜のラー博か、福岡のラースタか、はたまた熊本のラー城に触発されたのか、映画のセットのような昭和ノスタルジーっぽい外装への転換が始まったのである。
新店を出すような感じで、熊本のあちらこちらに映画のセットのような店ができ始めた。
これはとりもなおさず本部の方針がバシッと決まったことを感じさせ、昔のような店によるブレの楽しみというのがなくなったことを思わせた。
面白みっていう、このブログに欠かすべからざるコンセプトから行けば、ちょいと失われた感があるのである。


今回はそうしてできた黒髪の国道3号線沿いの店を訪れた。
駐車場に車を停め、ドアを開けると…。

懐かしいチャーシューの香りがプ〜ンと。
ちょっと豚の癖を残したあの昔のチャーシューの香りである。店の外まで香っているのである。


チャーシュー麺ください」。
800円だった。熊本のラーメンとしては高い方。因みにデフォルトのラーメンは500円。普通の値段である。逆に言うと、追加分のチャーシュー数枚が、本体のラーメンの半分以上の価値がある、とこの店の値段は主張しているのだ。


出てきたドンブリは昔の規定のドンブリと比べるとたっぷりとしたもの。
桂花よりも軽めの香り。

うーん。これはよかばい。

まずはスープを。
軽めではあるが、しっかりと熊本豚骨の王道の味。
次にチャーシューを。
箸が麺に向かない。最初に店に入るときに感じた香りに、負けているのである。
…想像通りの、豚の癖を残した柔らかめのチャーシュー。
でも薄いなあ。食べやすい厚さ(薄さ)とも、いえるけれど。
そして麺。
ほほー。
先日の我が家に続いて、ここもアルデンテ。見ても美しい周囲の透き通り方。


うまいです。確かに、美味いです。


惜しむらくは昔の味千の水準点くらいにまとまっているところか。
水前寺競技場の近くで食べたアレの驚きまでは、行かんな。


でも熊本ラーメンのスタンダードを押さえるときには外せない逸品だ。そういう感想を持ちましたです。