東京浜松町:浜亭 牛スジ牛蒡は立ち食いソバの新風か?

shin_papa402007-02-11

鬼平犯科帳といえば池波正太郎の傑作のひとつ。
本を読みまくるもよし。


けれどテレビドラマ化されたそれを好む人も多い。
たまにDVDを借りてきて見る。
古いドラマだけれど、そのハイブリッド感には舌を巻く。
時代劇に微妙に織り込まれた時代の雰囲気。
ジプシー・キングスを合わせたセンスといい、今ボクがやっている仕事の参考にさえ、なってしまう。


毎回、食うシーンが出てくる。
鳥鍋の店が出てくる。ジビエ的扱いだから街の中心にはない。
蕎麦の店が出てくる。ある意味ニューウェイブである。
蕎麦掻きから、蕎麦切りへ。グニグニに練ったものを汁に入れたりして食ってたのを、グニグニを平たくして切って茹でたら麺になる、という発見。それがニューウェイブ。さらにその麺だけを喜んで食っていたところ、それを汁に入れてタネものをトッピングするという智恵が生まれる。
ウサギが「蕎麦切りの上に、天ぷらを乗っけたのが、どうもうまいんですよ」と平蔵を誘いに来るシーンがある。
そしてその後二人は川筋のその蕎麦屋へ。
一膳飯屋風だがきちんとした蕎麦屋の風情である。


ところで、その番組のエンディング。
これが実はドラマ化されたものが好きな理由のひとつ。
ジプシー・キングスがかかる。
江戸の四季が短い時間の中、タララーというラテンギターに載せてフラッシュバック。
その冬のシーンに立ち食い蕎麦の屋台が見える。
雪の中、手仕事をする主。鍋からは湯気が立っている。
一瞬の場面なのだけれど、このシーンが大好き。


江戸の蕎麦の原点は、多分このような立ち食い屋台である(と決め付けている)。
そのせいか東京に行くと、駅の立ち食い蕎麦が気になってしょうがない。
因みに西日本の駅のそれは「立ち食いうどん屋」であるが、東日本は「立ち食い蕎麦屋」である。


決して美味くはないことは分かっている。
しかし。
出す方も庶民、食べる方も庶民。この連帯感が立ち食いの醍醐味である。
両方ともある意味での軽さが求められる。
大層な能書きの手の込んだものを出してはいけない。食う方もササッと啜って立ち去る。長っちりしてはならない。そういう符丁が気持ちいい。


長い前書きで恐縮だけれど。
昼飯を食う時間もなく降り立った浜松町の駅。
打ち合わせは40分後。そこへ行くのに30分はかかる。
何か腹に入れておかないと、ビジネスの打ち合わせでスタミナ切れは禁物だ。
で、見回したらあったのが浜松町駅コンコースの立ち食い蕎麦「浜亭」。


メニューは…と見ると。
何と以前はなかった「牛スジ牛蒡」。
江戸風を標榜する蕎麦屋には「鳥南蛮」「鴨南蛮」くらいしか肉系のメニューがなかったのは過去のことか。
まずは食ってみなければ…と、頼んでみた。


セントラルキッチンで調理されたと思しき牛蒡と牛スジ。
サクリッというテクスチャーは願うべくもないが、しかしなかなか大地の香りを口の中に広げてくれる牛蒡。いい感じに牛スジにマミレていたと見えて、それ自身にスジの旨みを受け止めている。
そして肝心の牛スジは、プルプルのホロホロ。


つゆは東京立ち食い系お約束のコンク。


麺は、ここ数年で歯ごたえがグッとよくなった、立ち食い業務用。


ズズズッと啜り、昔はなかった獣系トッピングに驚きながらも、器の下げ口に「ごっそさん」といいながら、コートの襟を立ててスッと立ち去る。
これだなあ。東京の蕎麦ッ食いは。