東京羽田空港:羽田ラーメン 青春の蹉跌を我振り返りに行く。

shin_papa402007-03-14

バブルへGO!が真っ盛りである。
でもボクの体験から行けば、それほど底抜けに明るかった時代ではない。
ボクが学生だった1984年頃。
既に東京市場へはアジアダラーが大量に流入し始めていた。
今でも覚えているのは、中古不動産の新聞のチラシ。
埼玉の方だったと思うのだけれど、10DKくらいの日本家屋。一億八千万で売りに出た。
そのチラシをきっかけのようにして不動産バブルへの急激な流れが体感できるようになった。
そのときは貧乏学生だったし、就職して平社員となって鬼のような残業代が入るようになってもそれは土地の値上がりにとても追いつけるようなものではなかった。
一生懸命働いても一戸建てはおろか、マンションも買えないかも知れない。
土地が値上がりし現金を掴む者が続出する中、それはすなわち「負け組」であることを意味していた。
そんな中で自棄気味の気持ちを発散するために、夜な夜な遊びまわっていたという感じだった。
まぁ、大企業の会長の孫で「勝ち組」系の「バブルへGO!」の主にはそのような状況は分からないだろうけど。


辛ねぎラーメン。
最初に食べたのは、そのバブルではしゃぐ前。貧乏学生の頃だった。


当時は学生の町・江古田に住んでいた。
江古田には素晴らしいラーメン屋が幾つかあった。
大盛軒、お待たせの味・玄、江古田太陽…
ヌードモデル募集中と書いてあった画廊ラーメンというのもあった。店主が画家なんであった。


その江古田太陽。
大きな寸胴が二つもあって、手塩を掛けたスープが自慢だった。
そこで初めて食べたのである。
鰹節などいくつかの節(ブシ)系、イリコ系、それにトリガラなど動物系、それに香味野菜とりんごなどの果物系が渾然となった秀逸のスープ。
それに太目の玉子麺。
それだけでも当然旨いのだけれど、トッピングに白髪ネギのゴマラー油がかかったものが山盛り。
これは衝撃だった。
特に夢や希望を描けないその時代だったけれど、旨みと刺激が小さな日常の感動をもたらしてくれたものだ。


おかげさまで今は人生はそう捨てたモンじゃないと実感する毎日を送っている。
ガムシャラにやってきたからだろうか。
運が良かったからだろうか。
それは分からない。ガムシャラにやっている最中には苦労とも思わないが、人に話すと「苦労されましたなぁ」と嘆息されることもある。


そうしたある日、羽田空港で昼飯を食って博多に帰るというシチュエーションがあった。
探すとラーメン屋がある。
第一ターミナルのJAL搭乗受付の辺りの端っこの2階だ。
入れば食券を買えという。
「辛ねぎラーメン」という文字が見えた。
ちょうど1000円。このような旅先の急ぎの状況ではお釣りがないのが嬉しい。


しばらくして運ばれてきた。
予想したとおり白髪ネギがピリリ。
ズズズッと麺を啜り、スープを啜る。


ネギの盛りが青春のあのラーメンと比べると少ない。
スープは、コンクの加工品だろうか。
麺はあのときのプルプルッとした感じから少々遠い。
これで1000円である。


でもいいじゃないか。
その味わいを楽しみながら、それからの来し方を思い返せるよう成長した自分を、また噛み締めているのである。そういう麺の食い方もあっていい。