那覇市前島:ちむどんどん 沖縄で生まれた醤油ラーメン。

shin_papa402007-03-27

大阪で生まれた女は良く知っているが、沖縄で醤油ラーメンが生まれていたとは知らなんだ。
勉強不足であった。


もう15年も前になるだろうか。
仕事の関係で頻繁に沖縄へ行っていた。
そのころの沖縄は、今ほどのブームではなく。
讃岐うどんブームも到来していなかったため、田舎のうどんを食い歩くという観光のカタチもできておらず、従って沖縄の名麺である「沖縄すば」にしても一部マニアのものに留まっていた。
とはいえ沖縄で麺といえば、「すば」だった時代だ。
当然ラーメンなどというものは、なかった。


いや、何店かはあったのだ。
ある日の昼、ボクはよろよろと歩いていた。
前夜の仕事の中打ち上げでテキーラ飲み比べなんていうのをウチナーンチュとやってしまったボクは、とにかく塩味の液体を体内に取り込みたいという欲求にかられていたのだ。
確か松山という街に、熊本の味千ラーメンが出ていたはず。わがソウル麺一派だ。

…。

あった。
がしかしそれは夜しかやっていない酔客相手の商売だったようで、昼の日中には開いていなかったのだ。
むなしくシャッターが閉じられているのを見たボクは、そこにへなへなと座り込んでしまった。


そういう思い出を持つボクとしては、現在の那覇の街を歩くと目に入る「ラーメン」と大書きされた赤い提灯に目を見張るのである。
でも昼間は入らない。
まだ「すば」を食うほうにボクの神経は向いている。
かくして自分が酔客となった真夜中、ついつい赤い提灯を揺らして入ったのが那覇の美栄橋横の「ちむどんどん」である。
「ちむどんどん」を東京語に訳すと、「心臓バクバク」なんてところだろうか。


入ると、カウンターに数名の客。
テーブル席がいくつかあるが、全部空いている。
でテーブル席に座ると、
「団体客が来るかもしれないのでカウンターにお願いします」とニコリともせずに店員がいう。
懐かしい感じだ。
部外者に慣れていないという感じ。それでサービス業の店員やっているのは如何なものかと本土の人はいうだろう。けれど沖縄では良くあること。17年前に始めて入ったステーキ屋のコックもそうだった。その無愛想さが懐かしい感じさえする。
変わったようで変わらないんだなぁ、生活文化って。


頼んだのは「沖縄醤油ラーメン」。
ここは久留米ラーメンスープ、沖縄醤油スープ、沖縄塩スープと3種類のスープでラーメンを出すらしいのだけれど。
しかも何かの大会で「久留米ラーメン」で優勝したらしいのだけれど。

店員にどれがお勧めかと尋ねたところ、「お客様の好み次第です」と応える。そんなことは分かってらい。こっちは「そんなことは置いておいて、店として最初に食うのを勧めるのはどれか」を聞いとるんじゃ。

イカイカン。このブアイソさ、他人慣れしていないところが、沖縄っぽいんであったと思い直し、福岡から那覇まで来て久留米ラーメンもなかろうと考え、しかも「沖縄醤油」と、わざわざ沖縄を主張しているデフォルトラーメンにしたんであった。


しばらくして出てきたのは写真のこれ。

意外とスープは澄んでいる。
どらどらとレンゲで啜ってみると。
ぶわんとした大味な感じ。
この感じ、どこかで…。

あ。

沖縄すばに通底するぶわんとした感じに近いぞ。そのボクの記憶の「ぶわん」は首里そばだ。
コーレーグースがない分、ちょいと締まりを感じない。


トッピングは、豚肉。
チャーシューじゃなさそう。

そしてその横に餃子。
ネギの刻みも載っている。

ネギに、豚肉に、餃子……?
水餃子鍋って感じ?
そう考えれば不思議な存在感があるぞ。
意外と面白いかも。


まぁ極めて沖縄っぽい雰囲気の店なんだけれど、
敢えて言えば「沖縄醤油」と言いながら、沖縄っぽい演出がもちっと欲しいかな。
スープは沖縄すば系なのだから、
あとトッピングはアーサとか、それこそラフテーとか、さらにコーレーグースとかを使ったりできないかな……。
などと考えていたら、結局、「それって沖縄すばそのままじゃん」というセルフ突っ込みを入れていたのであった。


文句タレながら結局は楽しんだんだけど、まずはラーメン不毛の地であった沖縄に貴重な第一歩を記した「ちむどんどん」は偉い。そして意外と面白いから皆さんも食べてみてくださいね。