熊本市鹿子木:えびすラーメン 大盛りを食うヨロコビ。

shin_papa402007-06-02

幼少の頃から、麺を食ってきた。
裕福ではなかった…どちらかというと貧乏だったろうボクの家。
周りも結構、貧乏。そういう時代だったが。
そういう家でもたまには外食をする。
歯医者へ行った帰りに熊本の辛島ロータリーにあった桂花の暖簾をくぐる。
痛いイヤだと散々駄々をこねていたボクは、「終わったら桂花に行くよ」と母に歯医者へ連れられてついていくのである。
そうして苦行の時間が終わり、ご褒美というわけではないがラーメンにありつくのだ。


幼稚園の頃は母が食べる丼から、子供用にもらった小さな器に分けてもらって啜っていた。
それが小学生中学年の頃に、一人前の丼で食べ始めた。
最初に一人前の丼を食べたとき、その風景を仔細に覚えては居ないがちょっと誇らしげに「一人前」の仲間入りをしたような気持ちだったのを覚えている。
それから数年後、育ち盛りとなったボクは「大盛り」を頼むようになった。
桂花のラーメンは煮卵がフツー盛りは半分、大盛りはそれが二つ、つまり卵一個分入っている。

微妙に塩味が効いたこの玉子を大好物だったボクは、初めての大盛りの二つの半卵に感激したのも、覚えている。


それから幾星霜。
母は歳をとり、とても出歩けるような状態ではなくなった。
父は昨年他界した。
こどものころから、頼り甘え時には反発してきたのも、父母は絶対であり消えてなくなったりしないと思っているからだ。


40歳を超え、この数年は失っていくものがあまりにも多い。
そうして人間は何万年も生きてきたんだなあ。


妻と家族を連れて父祖伝来の地・熊本へ里帰りする。
ボクが今住んでいる博多はうまいラーメン屋が多いけれど、熊本もまた、多い。
九州自動車道を南下して植木インターから国道3号線へ。
熊本の市街地に入る手前に「恵比寿ラーメン」はある。
看板には「えびす」「恵比寿」両方の記載がある。


ちょうど腹が減った午後1時。
家族でどかどかと小上がりの席を占拠。
小学5年生の息子は「ラーメン」。
妻と娘は「チャーシュー麺」に「替え玉」。
(妻に言わせれば「これが一番経済的」らしい。壁には「大盛りは一人で食べてください」と書いてあるが替え玉については何も書いてないのである)

そしてボクは「ラーメンの大盛り下さい」。


そう頼みながら、母とラーメン屋へ行って初めて「大盛り」を食べたときのことを思い出している。


しばらくして家族分のラーメンが到着。
ここの大盛りラーメン、結構イカしている。
まず丼の大きさが違う。
そして、煮卵と全体のバランスから読者の方にも想像していただけるだろう。
「大盛りを、食いたいッ」というカタルシスをきちんと受け止めてくれている。

味ですか?
旨いですよ。


ボクでさえ、スッと食えてしまう。
けれど。
「大盛り」を食える体力とも、もうそろそろオサラバする年齢に差し掛かってきた。


今後はできるだけ体調を維持して、大盛りを食えるヨロコビや思い出と付き合っていきたいものである。