長崎市松ヶ枝町:四海楼 チャンポンの元祖に敬意を表して。

shin_papa402008-05-20

 もう10年以上も前の話だ。4月の新婚旅行で初めてヨーロッパに行き。バチカンを始めとする教会を何カ所か見学した。そのとき改めて宗教施設への敬意を持ちつつ教会というものに立ち入った。何しろ歩いている敷石の下に聖人のミイラが眠っている。欧州各地から来ている人々の顔は例外なく真剣だった。教会というものはそのようなものだと身を以て知った。
 見て回った教会の建物は鳥瞰で観ると例外なく十字架の形をしていた。
 
 そして帰国後、熊本の両親の元に報告がてら帰省した。その休日の間、レンタカーを借りて両親と妻と泊まりがけで天草へ。途中で訪れたのは大江の天主堂。東洋の端っこの国の、さらにものすごい端っこの島にある白亜の小さな教会。ここも鳥瞰で観るときちんと十字架の形をしていたのである。妻や両親は何も感じなかったようなんだが、バチカンから大江天主堂まで伝わった文化のカタチとそれに要した時間と人のチカラにボクは一人で感動していた。


 さて今まで麺を食べ続けてきたボクだが。カレーチャンポンがあった。アジア風チャンポンがあった。エビがごろごろ殻付きで入っているチャンポンがあった。あるいは蛸がころころ入っているチャンポンがあった。なればここらでひとつ本家本元、協会で言えばバチカンのようなチャンポンを食べておくべきではないか。それが礼儀というものではないかと、思い始めたんである。


 ということで思い立ったら吉日と、過日行ってきた。
 四海楼初代の陳平順氏は明治32(1899)年に長崎の中国人居留地の入り口に最初の店を出したそうだ。その当初より貧しい中国人留学生や移民のためにボリュームと栄養があるチャンポンを作り始めたらしい。であれば貧乏人の味方の安い食べ物のはずだ。
 グラバー園のお膝元、松が枝町にすっくと立ち上がるコンクリート造りの建物、それが四海楼だ。おもわず「チャンポン御殿」というコトバが出そうになって飲み込む。で、エレベーターに乗ってレストラン階へ。エレベーターが開くと、レストランは20人待ちくらいだったが、巡礼者が訪れる総本山とはそんなもんだ。待つこと25分、席について10分。ようやくご本尊のチャンポンとのご対面だ。


 まず目を引くのはトップに飾られた錦糸卵。どのような作り方をしているのか、あまり卵の味がしない。で、スープは?とレンゲを使って啜ってみると、うーん、これは鶏ガラと豚骨のブレンドか?クセを抑えた万人向けのスープである。野菜はシャキシャキ。ゲソ、豚肉が入る。チャンポン用の蒲鉾が美しい。ずずず、ずずずと麺も啜り、10分もたたないうちに完食。

 さすが本家本元だ。嫌みのない旨さというべきか。突出したところがないから印象は薄い。だがオーセンティックとはそういうものだ。熊本ラーメンの桂花、味千、こむらさきのごとし。そのポジションを忘れて突出しようとすると、多分だめになる。その「我が道を知悉しているヨ」…という重さを、実はこの「御殿」が表現しているのだと気づいた四海楼のチャンポンであった。