名古屋今池:味仙 そのとき堪能し、翌朝また堪能す。

shin_papa402010-03-06

 初めて名古屋に来たのは、愛地球博の最初の頃だったと思う。
 博覧会で盛り上がり、ナゴヤ嬢がファッション界を席巻したその時期。
 夕飯を食おうとして、ガイドブックを見ていてピンと来たのは台湾ラーメン
 そこには「激辛」だと書いてあった。


 当時も今のように忙しく、今のようにストレスを感じていたときだった。
 過剰なストレスがかかると身体のどこかがおかしくなる。


 今も右側肩甲骨のあたりから右腕、そして手首直上まで筋肉痛がひろがっており、もうかれこれ2ヶ月も直っていない。さらに数日来のしごと立て込み状況のせいか先日は右目に毛細血管か脳神経だかの異常による光のような視覚的刺激を感じたところだ。


 その当時のストレスは消化器系に来ていた。
 我が家は、すくなくとも亡き父はものすごいジヌシであった。
 ウォシュレットが出現して、熊本ではまだとこにも無い頃に速攻でそれを導入したことが、彼の長年の苦しみを著しく低減したのであった。
 ボクはそこまでは行かないのだが、そのころ、普段は意識しない下半身の一点が、なにか「ここで無理してはイカンよ」と、折々に訴えてくるような感じを覚えていた最中だった。


 そこに「激辛」の台湾ラーメン情報だ。
 涙をのんで、そのときは撤退したのであった。


 その後仕事で数回ナゴヤを訪れた。いずれもクライアント同行だったりして夜の身動きがままらない。ボクの台湾ラーメンへの憧れは倍加する一方であった。


 さて今回、また名古屋に降り立った。朝からの現場立ち会いに向けて前日夜入りだ。もう下半身の一点からは何も信号がくる状況ではない。
 そして調べはついている。
 台湾ラーメンの銘店である味仙は昼はやっておらず夜は深夜2時までの営業だ。
 行くまいものか。


 名古屋到着は夜の22時。ホテル着22時半。荷物を置いて、地下鉄で向かう。
 味仙がある今池というところは、焼き肉屋さんや中華料理屋さんが集中する名古屋のソウルフルワールドらしく、駅からの道すがらメチャクチャいい匂いが漂ってくる。
 だが、初志貫徹だ。
 店の前に立ったのは深夜23時。
 思ったより小ぎれいな店の造りだ。


 店はこの時間にしてほぼ満員。
 新規のお客さんも次から次にやってくる。


 カウンターに案内されて、いくつかの料理をつまんだ。
 そしてボクの〆の時間がやってきた。時刻にして0時10分頃。ついにご対面への発声だ。
 「台湾ラーメン、ください」。


 出てきた。
 思ったより小振りな丼に、太麺が泳ぎ、唐辛子と炒め合わされた肉がどっちゃり。


 目の前の常連さんは天津丼と台湾ラーメンのダブルメニューで深夜の夕食を楽しんでいる。
 ボクもまずスープを啜ってみた。
 ずずずっと。
 意外に素直な醤油系のラーメンスープ…と思っていたら、スープに泳いでいる唐辛子のせいか、いきなりずどーんと辛みがやってきた。
 頬骨のあたり、こめかみ、下あごの前の部分にじわりと汗が。


 麺を啜る。
 熱い。辛みが熱さを強調する。本当はそんなに熱くないのだと思う。麺は太麺だがボヨンとした食感。ずるずる啜ると、太めの麺がワッセワッセと口の中に入ってくる。と同時に辛みを帯びたスープも入ってきて…。
 ああ、もうたまらん、そう思って紹興酒(温)を一口啜ると、これまた熱くて口の中が休まらない。


 そしていよいよこのラーメンの本丸を口にしよう。ちょっとひるみながらも唐辛子切り身がわんさと見えるトッピングの肉をレンゲで口の中へ投入。
 こめかみの両側、耳の後、顎の辺りから汗がズババンバンと流れ落ちるのが分かる。


 ああああああ。からひ〜。
 ここはわけを知っている常連さんのまねをすべきだった。目の前の常連さんはちゃんと優しげな天津丼と凶暴な台湾ラーメンを交互に食べているではないか。


 最初は小振りな丼だぜと思ったが、これ一杯で十分。
 このラーメンは名古屋人の創作らしい。賄い料理から生まれたということだ。旨い賄い料理が、新たな名物を作る。それはそれで素晴らしいことだ。


 その素晴らしさを翌朝、下半身の一点が訴える何か熱い感じとして再度味わったのはいうまでもない。