熊本市浄行寺:松葉軒 熊本豚骨の源流を感じる町麺。

 この店ほど、行った人たちの間で評価が分かれるところはない。
 あるブロガーは言う。
 「こんなに濃厚なスープはない」
 また他のあるブロガーは、
 「あっさりとしたスープが…」
 元長(がんなが・博多の元祖長浜)のスープが時間によって濃淡があるのは良く知られているが、この店の場合は極端過ぎなのである。
 なれば、自分の舌で確かめに行こう。


 このお店の住所は妙体寺町だが、この一帯を地元の人は浄行寺と呼ぶ。加藤清正が城造りと町造りを行ったときに、町の南北の備えとして大勢の人(兵)を駐屯させ炊き出しができる寺院を町の南北の端っこに集中的に配した。その北側エリアのひとつがここの辺り。なかでも最も隆盛を誇った寺院が浄行寺というお寺だった。
 お寺が集まれば門前町ができる。ここは豊後街道沿いの寺町として、また明治期以降は日本有数の学生の町だった黒髪地区への入り口としても栄えた、歴史ある熊本の下町だ。

 お店に入ると、奥に数名分の椅子が並ぶカウンター、手前がテーブル席。土曜日の午後2時過ぎとあって、他の客といえばカウンターに地元のおばちゃんが世間話をしに来ているだけ。
 とりあえず入り口近くのテーブルに座り、大盛りラーメンをお願いした。
 フツーのラーメンのお値段は530円、大盛りは680円だ。


 お願いしてから6分後くらいに「お待ちどうさまです」ということばと一緒に出てきた。
 見た目は色の薄い麻油がかかった典型的な熊本ラーメンである。
 なればまずはスープから。

 レンゲでズズッと啜ってみると。
 ん?
 もう一度。
 見た目から熊本ラーメンの濃厚なスープを期待していたが、口の中で感じている味はものすごく違う。いや、豚骨のスープであることは間違いないのだ。一言で言うと「うすあじ」という感じ。塩分も控えめに感じる。
 スープを覆っている脂は、ニンニクを焦がして作ったモノではなく、軽やかな香りを含む。けれど脂は脂なんであって、唇にはぬらぬら感が広がり、香りとは裏腹にもったりとしている。そして後味には懐かしい化調な感じが。
 実に不思議なスープである。

 聞いた話だが、豚骨のダシだけでは味の含みが薄いらしい。それゆえ鶏ガラと合わせたり、魚介と合わせたり、豚骨の中でもゲンコツと呼ばれるダシが濃い部位を使ったりと各店で工夫を凝らしている。もちろん豚骨スープの発見時は高度成長に入ろうかというときで、化学全盛時代。化調の使用も当然の選択肢だったはずだ。

 メニューを見れば、ラーメンスープは「とんこつのみ使用」とキリッと書いてある。
 なれば、濃厚に見えてその実はシンプルな味わいのスープも、後味に残る化調感も、熊本ラーメンのなりたちを考えるときには必然ということばで裏打ちされるのである。


 麺をたぐるとコレまた不思議。
 一般的な熊本ラーメンの白い小麦色の麺ではなく、黄色いストレートの中華麺だ。
 卵麺かとも思ったが、正直なところ、色に見えるほどはタマゴの味を感じられなかったのでクチナシなどの色素の色かも知れない。
 大事なのは、他の熊本ラーメンには見られない中華イメージの麺を使っているということだ。

 たとえばトウモロコシの原産は中南米。僕らが良く見るトウモロコシは外皮を剥くと中には黄色い粒が整然と並んでいる。けれど原産地で見るそれは黄色い中に紫の粒が混じっていたり、並びも粒の大きさもバラバラだったりする。原産地に近ければ、その見映えや味や食べ応えは不揃いになるのだ。
 その伝でいえば、まさにここの麺が黄色いのは、熊本ラーメンの原種に近いということだろう。
 つまりこのスープでこの黄色い麺を「なんだこれは…」と思いながら啜るのは、まさに熊本ラーメンの「原産地で食す」という実経験なのだ。


 ところで、ラーメン界の怪著「熊本の人気ラーメン88」(熊本日日新聞社発行・1993年11月1日発刊・制作及び発売は熊本日日新聞情報文化センター)ではこの店を取り上げていない。
 ここのラーメンも時代によって変化、進化を遂げて来たのだろう。おりしも1990年代前半くらいから無化調ブームがやってきた。当時はこのような原始的な熊本ラーメンはほかにもたくさんあったことから選外になったということかもしれない。けれどいま、こんなラーメンは熊本でも珍しい。この店はしっかりと今日も営業している。そこにこのお店の努力だけではなく、町麺としてこの店を支えて来た浄行寺の町の方々の愛着を思うのである。


 熊本のラーメンの源流を感じる町麺、ごちそうさまでした。