〔お店メモ〕

熊本県熊本市健軍3−43−15 めんきち
健軍の市電終点から健軍自衛隊方面へ歩いて5分程度。表通りからリブの道に曲がったところにある。駐車場はその裏(多分)。ご夫婦でやっているお店だ。表通り側には札幌ラーメンの店もあり、どうにも紛らわしい。デフォラーメン530円、ネギラーメン650円。

熊本市健軍:めんきち 家族の絆が深まる夏のラーメンだなあ。

 認知症の母がいる。
 僕の名前は既に脳みそのどこかへ埋もれてしまっている。けれど母の幼少の頃に過ごしたあたりの町名や、その町の名物だった饅頭の名前は覚えている。
 母のもとを訪れるたびに僕の名前をいってみて、覚えていないことを確認しつつ、その彼女の反応を探りながら、町名や饅頭の名前を耳元でいい、笑かすのが楽しい。幼少の頃の思い出は楽しいらしいし、また(見知らぬ)男性から知っている言葉が出てくる意外性も感じるらしい。僕としては昔の知識を動員しながら、少しでも母の脳みそに刺激を与えているという実感がある。
 母の中から僕の記憶が遠のいて行く数年間は実に寂しかった。けれど、いまは彼女の笑顔が見られるのが楽しみだ。
 このような悠長なことをいっていられるのは、日本で介護保険法が整備され、そのような介護施設ができたことが大きい。その意味では社会に、そして介護士さんたちに僕ら家族はとても助けられている。


 先日は妻と娘と一緒に、母の食事の時間を狙って施設を訪れ、食事介助をした。妻が「茄子ですよ〜」「鶏肉ですよ〜」「黄瓜ですよ〜」と都度いいながら母の箸の運びを手伝っている。言葉で補ってあげないと、どうやら何を食べているかというイメージも結べないようなのだ。そうして美味しいといいながら母は昼ご飯をほぼ完食。拙いながらも自ら手を動かし食べてくれるということはありがたいことだ。


 しかし、そういう楽しみをいつまでも続けるというわけにはいかない。
 この施設にお世話になってしばらく経つが、そういう母を残して施設を去るときは今となっても辛い。
 どうにも落ち着かない僕がいる。なんだろう。別れる寂しさの他に、介護士さんに委ねて去るという現実を受け入れざるを得ない瞬間だ。その瞬間を過ごすのがどうにも辛くてたまらない。


 さて、その施設を出て、僕らもお昼ご飯を食べようということになった。
「どうせ熊本にいるのなら、熊本らしいものを食べたい」と妻が主張。
 なればと、その施設にほど近い熊本ラーメン「めんきち」へ。
 妻は関東の出身だが、熊本ラーメンは好物のひとつ。


 店の中には父と息子の先客が一組。
 僕らがこの店名物の「ネギラーメン」を頼んだ後、彼らのテーブルに「チャーシューメンセット」が運ばれてきた。まるで巨大花「ラフレシア」のようにドンブリからダラリダラリと垂れ下がるチャーシュー。それを親は「どうだ」と息子に笑いかけ、息子は驚きながら箸をとっている。
 ああ、この店は夏の休日、父と息子のそういう共通体験の場になっているのだね。


 そして僕らの前にはネギラーメンが。
 炒められたネギが細かく切られたチャーシューと合わされてドンブリの上にこんもりと。そのネギ、ニュルリとして実に食感がいい。そのニュルリを受け止めるのがシッカリとしたテクスチャのチャーシュー。
 スープは正統熊本ラーメン。ニンニクの香りを活かした香油は抑えめになっており、スープの素性の良さを引き立たせている。
 うまいなあ。
 横目で見ると、妻も娘も美味しいといいながら食べている。

 食べていると、家族連れが2組、連続で入って来た。
 それぞれ大盛りラーメンやネギラーメンなどを頼んでいる。


 この店、表通りから少し入ったところなんだけど、町のラーメン屋さんとして本当に根付いていることが分かる。親がこの店の味を愛し、そして子供を連れて来て皆で食べる。そうして子供もこの味やこの町のことを心に刻んで行くんだろうなあ。

〔お店メモ〕

長崎県諫早市天満町13−12 ドラゴン食堂
このお店、カウンターのうえに場末のスナックのような灯がポンポンとついている。テーブル席が4つくらいかな。不思議なのは壁一面がテレビ番組のポスターで埋まっていること。それも1局だけではない。ここはテレビ局営業のたまり場なんか?

諫早市天満町:ドラゴン食堂 タイガーになりきれない食べ手の僕。

 諫早といえば役所広司だ。
 彼のテレビドラマデビュー作(時代劇にはその前から出ていたらしいが)といえばフジテレビ系の「親戚たち」。1985年、僕が大学2年の頃に放送された。
 都会から帰って来た役所広司が、大手スーパーへの土地売却計画や反対運動に割れる親戚たちのありかたに巻き込まれて行くという内容だった。その土地は広大な干拓地だったと記憶している。そのころから諫早といえば「干拓」問題である。

 当時つきあっていた女性とはそれぞれ地域の人間模様をそれなりに分かったつもりになっていたこともあって、よくこのドラマのことを話題にした。僕はリアルで面白いといい、彼女はリアルすぎて視るのがイヤだといった。案の定、その1年半後には彼女に振られることとなったが、その話はこの際関係ない。


 諫早は難しい町だ。嘗ては西彼杵、東彼杵、島原半島、長崎方面を結節する交通の要衝として栄えた。だが高速道路や高速鉄道の整備によって、通過される町となってしまった。残されたのは県内唯一といっていい「平坦な農地」。干拓によって江戸時代以前より営々と人々の手によって造られ続けた平地である。県内の殆どがリアス式海岸か、海岸から急に海底が落ち込んだ地形となっている。唯一この諫早あたりだけが遠浅の海岸で、それが干拓を人々の営みとさせてきた。
 干拓地では極めて良質の農産品が穫れる。平地がない長崎県で、この干拓地が安定的に作物が穫れる農業生産や、心の支えになって来たことは想像に難くない。僕も「平に広がる水田」の風景を、この干拓地以外では見たことがない。殆どは(いま、労働の場として捨てられようとしている…観光的には見直されて来ている)棚田である。

 しかしその農業も、流通が大手流通に収斂されることによる農産物の規格化=価格競争激化=農産物価格低迷の流れによって、経済の活力を失って久しい。

 そうして昔の栄華の足跡はあるものの、いまや、しんと静まり返っている町、そういうふうに諫早の町が見えるのである。


 その日の午後も、道を歩いているのは僕だけだった。
 6月の梅雨前の晴天の日。道路は白く日差しを照り返し、湿度もむわんと襲ってくる。
 諫早駅から本諫早駅方面へ。本諫早駅島原鉄道の駅で、諫早の町としてはJRの駅前よりもこちらのほうが栄えていたろうと思う。


 そういう町の一画にドラゴン食堂がある。
 店の風体はちょっと不思議だ。
 なにしろ「ドラゴン」である。
 店の前に出前用だろうか、「ドラゴン食堂」というフレーム看板をつけた自転車が置いてある。ドアにも店名が書いてあるが、よくあるチャンポン屋のように朱色とかで主張していない。映画にでも出て来そうな、ちょっと癖がある兄ちゃんがやってそうな店構えだ。

 ドアを開けて入ってみる。僕の目は癖のある兄ちゃんを捜す…と、カウンターの中にいたおばちゃんと目が合った。
「ちわー。チャンポンください」
「はいー」
 小柄で、そこはかとなく品を感じるおばちゃんである。不思議だ。チャンポンを厨房奥に頼んだところをみると、奥のほうに「癖のある兄ちゃん」がいるのだろうか。


 しばらくして、チャンポンが出て来た。
 思わず笑った。
 盛り盛りだ。
 某店の桜島級には及ばないが、諫早だから多良岳級とでもしておこうか。

 まずはトッピング(まさにトップ!であるなあ)をワシッと箸で掴み、食べ始める。熱の通し過ぎか、ちょっと豚肉が硬めになっているが、なにしろこのボリュームである。そんなものはご愛嬌。


 スープは長崎では良くあるタイプ。白濁ではなく褐色系。甘み辛み、そして肉野菜と一緒に炒められた旨味が良く出ている。


 このお店と、このチャンポンと。実にバランスが絶妙。そしてうまい。ここだから、うまい。ちょっとノックアウトされた感じ。
 諫早に来て「親戚たち」の世界をなぜか思い出してしまう空気感が、目の当たりに感じられたです。

〔お店メモ〕

長崎県東彼杵郡波佐見町折敷瀬郷1441 有田屋
クルマを停めるスペースは1台分くらいしかない。地元の人はそのスペースに無理矢理3台くらい停める(笑)。停められない場合は裏道10メートル先にその小学校の校庭があり、そこにこそっと停めるという手がある。
なお、このきれいな器は、きっと波佐見焼だと思う。

東彼杵郡波佐見町:有田屋 時は止まった感あるが、味はリアル。

 波佐見という町がある。
 波佐見は「はさみ」と読む。
 焼き物で有名な有田から低い峠を南側に越えた山間の町だ。山間といいながら、標高はすでに低い。ちなみにここから東の方に峠を越えれば温泉で有名な嬉野に届き、南西の方に川に沿って降りて行けば大村湾に出くわす。


 町は焼き物で成り立っている。
 その生産の形態はマニュファクチャーに近い。町ぐるみで分業体制をとっているのがこの町の焼き物の特色だ。
 だからこの町の焼き物は大量生産の工業製品ではなく、あるいは高級な作家の窯ということでもない(大雑把な説明であり、個々の事例ではこの説明から外れる場合もある)。
 日常使いの器ながら大量生産品ではなく、創り手の気持ちと技がこもっている器というとご理解いただけるだろうか。
 この町の焼き物で最も有名なのは無印良品白磁皿である。つまり、ここの器はそんな感じということだ。


 波佐見の器は江戸時代に、江戸で大ブームとなった。
 それまでは手工業による器しかなかったろうし、品質もばらけていたのではないか。そこにこのマニュファクチャーである。それまでと比べると画期的な均質化した製品、使い勝手の良さ、当然発色などもよかったろう。そうしてこの町は焼き物の町として発達して来た。


 この町が時代から取り残され始めたのは戦後の大量生産、大量消費が当たり前の時代になってから。
 そこで町の時は止まってしまったかのようだ。
 だが時は止まっても、人々の年齢は否応無しに上がって行く、そして人生を卒業して行く人々もいる。この町はだんだん寂れて来て、嘗て大勢の子供たちの声が満ちていた木造の小学校も廃校となった。


 そんな波佐見の一画にこの有田屋がある。

 表通りに面しているともいないとも言えない、妙な具合の店構え。
 営業しているかどうかも分からないくらい控えめな「営業中」表示。
 しかし何よりもこのしもた屋風の建物はどうだ。


 その日、天気は雨だった。
 引き戸を開けてまず聞いたのは「いま、やってます?」という問いかけ。そうすると三和土の奥の方からおばちゃんが「いいですよー」と返事をくれた。

 テーブル席に座って皿うどんお願いする。
 目の前の窓枠は木。サッシじゃない。この建物、三和土の様子や構造からいって100年以上経ってるんじゃないだろうか。

 5分ほど待つと、皿うどんが出て来た。
 具材はいたってシンプル。多めのスープにとろみをつけた餡がここの味わいか。この店のチャンポンは長崎っぽい甘さが面白かったが、この皿うどんはそのような甘さは控えめだ。シンプルな塩味。それにスープ由来の旨さ。
 なお、ゆず胡椒味は特に頼まないと、その味付けではないものが出てくるようだ。


 しんと静まり返った有田屋の中。
 まるで時が止まったかのようだ。そういえば近くには立派な木造の元小学校がある。今は観光的に利用されているようだが、それくらいしか観光的に目玉がないというのも、この静かな雰囲気を守っている理由かも知れない。

 ずるずると皿うどんを食べる。
 モヤシやキクラゲや香ばしい豚肉や麺や…口の中はリアルに旨味が広がり、食べているという実感がある。

 語弊があるいい方かも知れないが、静まり返った、時に取り残されたかのようなこの町この店だからこそ、際立つ旨さがあった。
 この体験は、お勧めです。

〔お店メモ〕

長崎県諫早市飯盛町佐田872−3 251ラーメン
国道251号線ではなく、海沿いの道を行けばもっと麺系の店はあると思う。でも今や長崎市内から島原へのメインルートは251号線になってしまってるしなあ。みんな結構急ぐから、意外とこのルート沿いでは食事需要がなかったりするのかも。そう想像している。