熊本市健軍:慶華園 街のラーメン屋さんご健在。

shin_papa402009-12-26

 世のビジュアル系ラーメン本の嚆矢にして20世紀最大の名著「熊本の人気ラーメン」(1993年11月1日発行 熊日情報文化センター制作/熊本日日新聞発行)。この本の凄みは過去にこのブログで書いた。
http://d.hatena.ne.jp/shin_papa40/20060517
 この本の制作にあたられた方々の着想と工夫と身を挺しての努力には実に頭が下がる。現代の巷にあふれるラーメン本、特にフリーペーパー系のグルメ本とは一線を画す迫力。もちろんグルメ情報サイトは全く太刀打ちできないレベルだ。唯一、一部の愛好の方々による情熱的な麺ブログがこの迫力に肉薄している、そう感じる。


 ところが過日、新潟でこのラーメン本に劣らない迫力の印刷物を見て思わず購入した。いずれどこかで紹介するが、それは土地の新聞社である新潟日報が制作し、発行したもの。
 熊日といい、新潟日報といい、軟派ネタであっても記者のカラダを張った取材、そして編集、デザイン、発行まで至る経緯を思うと、レガシーメディアなどといわれる新聞の力が実に健在であることを思い知らされる。残念ながらインターネットメディアではそこまでのプロ記事を未だ見られないのが実情だ。ただ、この後の時代の流れ如何では、当然変わってくると思うが。


 さて、冒頭のラーメン本は発行からすでに16年の歳月が流れた。
 この本が出た頃は、熊本の街まちに家族経営の小さなラーメン屋さんが点在していた。
 だが現在、街角にそのようなラーメン屋さんを見ることはまれだ。
 グローバリゼーションの波はこのような小規模経営までも例外なく襲った。かつて昼飯やおやつに100円玉数枚をもらってラーメン屋に出かけた子供たちは、いまは近所のスーパーのハンバーガー屋かコンビニに行く。
 また、戦後に寡婦としてラーメン屋で糊口を凌ぐという選択をしたおばちゃんたちは戦後が遠ざかるにつれて次第に第一線を退かざるを得なかった。
 そうして熊本のどの町内にもあった小さなラーメン屋は、いま絶滅の危機に瀕している。


 いま「熊本の人気ラーメン」を開くとそうして消えていったお店が何軒も見える。この本で「うまいっ!」と評価されている店でさえ、そうである。不幸にしてこの取材にひっかからなかった店は当然のごとく無くなっているだろう。


 さて、熊本の街の中心はお城のお膝元である花畑町を中心とする繁華街だが、じつはもう一つ、旧日本陸軍と軍需工場が置かれた健軍のあたりも結構な街である。ここにも地味ながらアーケード街があり、往事の隆盛を偲ばせる。


 「熊本の人気ラーメン」にも健軍の銘店がいくつか紹介されていた。いまそのほとんどを見ることは不可能だ。
 今日も、そう思いながらクルマを走らせていると、地味な看板が目についた。「もしや?」と思い、クルマを止めてそこまで歩いて行ってみると!
 ありましたね。本の中でも熊本の超有名店「桂花」と見開きの対向面に割り付けられていた「慶華園」。「けいかラーメン」というメニューがどちらにもあるから、これは記者の遊び心による配置だと思う。


 記事では熊本ラーメンの重鎮としての桂花に対して、慶華園のほうは店主さんが中華帽なんか被ったりして、どうにも二の線なんであった。
 で、今日、店に入って店主さんを見てみたら、今日も被ってた。きっとこの16年ずっと被ってきたんだろうし、その前もそうだったんだろうな。もう、この帽子被っているのを見た時点で、実にボクとして「合格っ」という感じだ。

 で、初ラ店ではデフォの麺を。
 「けいかラーメンください」。


 5分くらいで出てきた。
 熊本ラーメン特有の麻油ではなくてごま油を加えて軽めの香り。


 まずはスープを。
 おお。確かに軽め。でも熊本ラーメンとしてのコクはしっかり出ている。
 麺も軽め。だが食事としてのしっかり感は十分。
 トッピングはチャーシュー、海苔、キクラゲ、ネギ、もやし。デフォの麺としてはきらびやかな眺めである。
 このきらびやかさは店主さんの経歴と無関係ではないだろう。「熊本の人気ラーメン」によれば「長崎や熊本の中華料理屋で修行を重ね」られたとある。チャンポンの文化で学ばれたのであれば、シンプルな眺めでは落ち着きが悪いのかも知れない。


 店を出る間際に固麺皿うどん用の麺を自家製で揚げておられた。これなら相当香ばしい麺が楽しめるだろう。今度はぜひ固麺皿うどん系のメニューを食べてみようと思いながら、大満足で店を出た。


 実に理想的な「わが街のラーメン屋さん」だ。ぜひ一日でも長くこの味を街の味として食べさせていただきたいと思う。