京都市東塩小路向畑町:第一旭本店 きょうぉの八条のはっしのよこっ

 いつも遅すぎるのである。
 京都へ行ってしごとを終えて、さて、メシだ!という時間が、である。
 一度くらい暮れなずむ京の町並みを見晴るかす鴨川のほとりで、
 「ようこそ、おこしやす」
 などと和服の妙齢の女性に旨い清酒などをお酌してもらいながら、先付けから箸をつける…なんてことをやってみたいのだ。
 けれど、たいてい京都でしごとが終わるのが夜10時。それからのメシとなれば、そんな行い澄ました場所には行けない。入って食べて飲んで30分一本勝負!という店となる。
 そんなときに便利なのが京都駅近くの第一旭本店。
 何しろ真夜中の2時までやっている。

 ということでこの日もそういう理由でこの店へ。
 となりも京都ラーメンでは有名な新福菜館。でも新福菜館は午後10時で終了。この日もすでに店の看板の灯は落ちていた。そして第一旭本店の前には大人の男女が6名並んでいる。話を横聞きすると、4名は常連さん、2名は観光客らしい。


 15分ほど待たされて店に招き入れられた。
 頼んだのはビール(大瓶600円)と餃子(250円)とラーメン(650円)。
 で、最初にビールが出てきて、次にラーメンが出てきて、最後に餃子が出てきた。出てくる順番がイメージとは少し違うが、混み合っていることを考えると、まぁ仕方がない。(けれど常連さんらしい母娘グループには「ラーメンはビールと餃子の後にしますか?」と美男子の店員が訊いていたのを僕は見逃してはいないが)


 出てきた順番に書いて行くと、ビールは大瓶なのがうれしい。餃子は安いが一口で食べるサイズで、一皿では物足りないなあ。でもラーメンがメインだからいっか…と思ってると、真打ち登場。

 薄い醤油色のスープに見え隠れする太麺ともやし。そして豪勢な肉の上にこんもりと盛り上がった青い葱。葱の香りがぷ〜んと鼻をくすぐる。仕込みの段階で使われたと思われる大蒜のかすかな香りも漂う。ああ、うまそうだ。


 スープの表面は脂で覆われているが、啜ると重たい感じはしない。元ダレはこの煮豚を煮たときのタレだろうか。醤油をベースとして、シンプルな旨味が舌の味蕾を刺激して口の中に広がる。このスープは飽きないなあ。


 わしっと箸で掴んで口元へ運ぶストレートの麺は、ちゅるちゅるんと唇から口の中に入ってくる。麺の固さを指定するお客もいるが、僕は出されるままの固さつうか、柔らかさが好きだ。


 時刻はすでに夜10時半。こんな時間にちゅるちゅるんしていていいのかという心の中の“良識”が頭をもたげてくるが、心の奥底にぐいっと押し込める。
 肉はフツーのラーメンにしては多い。レギュラーサイズで十分だ。肉の上にトッピングされた葱がシャクシャクとして、新鮮でうまい。つんとした香りが、アブラ浮かぶスープとマッチして、ヒト口ごとにヒト噛みごとに、口の中でないまぜ具合が変わって、飽きない。うまい。


 聞こえてくるのはイケメン店員さんと来客の会話。
 「おひさしぶりですぅ」
 「今日もおおきにぃ」
 京ことばが、たおやかな女性のモノだけではないことを知る。厨房も含めてこのお店の男衆のことばは、ものすごく丁寧ではないものの、聞いていて気持ちいい。
 それはこの店に通っていた人が久しぶりに訪れた、あるいは先週来た人が今日も来たという、地域の仲間の結びつきがこの店の空気の基本になっているからだ。


 京の町はずれ(人によっては怒ると思うが、京の八条、九条といえば平安時代から町はずれ)にあって、実に濃厚な空気の町麺。多店舗展開もしているが、この本店は実に、町の人々から支えられているのだなあ。

〔お店メモ〕

熊本県熊本市妙体寺町 松葉軒
この店のショルダーフレーズが「元祖熊本ラーメン」。この表示には賛否両論ある。食べる僕らにとっては「元祖」かどうかはあまり関係ない。美味しいかどうか面白いかどうかが問題で、「元祖」は消費される記号にしか過ぎない。けれど作り手側としては矜持の問題だ。それが真贋論争を巻き起こすことになる。
 僕が経験したのは「ここのラーメンは久留米ラーメンに触発されて編み出された熊本ラーメンの勃興期の記号がもれなく詰まっている」町麺であったと、そういうことである。

熊本市浄行寺:松葉軒 熊本豚骨の源流を感じる町麺。

 この店ほど、行った人たちの間で評価が分かれるところはない。
 あるブロガーは言う。
 「こんなに濃厚なスープはない」
 また他のあるブロガーは、
 「あっさりとしたスープが…」
 元長(がんなが・博多の元祖長浜)のスープが時間によって濃淡があるのは良く知られているが、この店の場合は極端過ぎなのである。
 なれば、自分の舌で確かめに行こう。


 このお店の住所は妙体寺町だが、この一帯を地元の人は浄行寺と呼ぶ。加藤清正が城造りと町造りを行ったときに、町の南北の備えとして大勢の人(兵)を駐屯させ炊き出しができる寺院を町の南北の端っこに集中的に配した。その北側エリアのひとつがここの辺り。なかでも最も隆盛を誇った寺院が浄行寺というお寺だった。
 お寺が集まれば門前町ができる。ここは豊後街道沿いの寺町として、また明治期以降は日本有数の学生の町だった黒髪地区への入り口としても栄えた、歴史ある熊本の下町だ。

 お店に入ると、奥に数名分の椅子が並ぶカウンター、手前がテーブル席。土曜日の午後2時過ぎとあって、他の客といえばカウンターに地元のおばちゃんが世間話をしに来ているだけ。
 とりあえず入り口近くのテーブルに座り、大盛りラーメンをお願いした。
 フツーのラーメンのお値段は530円、大盛りは680円だ。


 お願いしてから6分後くらいに「お待ちどうさまです」ということばと一緒に出てきた。
 見た目は色の薄い麻油がかかった典型的な熊本ラーメンである。
 なればまずはスープから。

 レンゲでズズッと啜ってみると。
 ん?
 もう一度。
 見た目から熊本ラーメンの濃厚なスープを期待していたが、口の中で感じている味はものすごく違う。いや、豚骨のスープであることは間違いないのだ。一言で言うと「うすあじ」という感じ。塩分も控えめに感じる。
 スープを覆っている脂は、ニンニクを焦がして作ったモノではなく、軽やかな香りを含む。けれど脂は脂なんであって、唇にはぬらぬら感が広がり、香りとは裏腹にもったりとしている。そして後味には懐かしい化調な感じが。
 実に不思議なスープである。

 聞いた話だが、豚骨のダシだけでは味の含みが薄いらしい。それゆえ鶏ガラと合わせたり、魚介と合わせたり、豚骨の中でもゲンコツと呼ばれるダシが濃い部位を使ったりと各店で工夫を凝らしている。もちろん豚骨スープの発見時は高度成長に入ろうかというときで、化学全盛時代。化調の使用も当然の選択肢だったはずだ。

 メニューを見れば、ラーメンスープは「とんこつのみ使用」とキリッと書いてある。
 なれば、濃厚に見えてその実はシンプルな味わいのスープも、後味に残る化調感も、熊本ラーメンのなりたちを考えるときには必然ということばで裏打ちされるのである。


 麺をたぐるとコレまた不思議。
 一般的な熊本ラーメンの白い小麦色の麺ではなく、黄色いストレートの中華麺だ。
 卵麺かとも思ったが、正直なところ、色に見えるほどはタマゴの味を感じられなかったのでクチナシなどの色素の色かも知れない。
 大事なのは、他の熊本ラーメンには見られない中華イメージの麺を使っているということだ。

 たとえばトウモロコシの原産は中南米。僕らが良く見るトウモロコシは外皮を剥くと中には黄色い粒が整然と並んでいる。けれど原産地で見るそれは黄色い中に紫の粒が混じっていたり、並びも粒の大きさもバラバラだったりする。原産地に近ければ、その見映えや味や食べ応えは不揃いになるのだ。
 その伝でいえば、まさにここの麺が黄色いのは、熊本ラーメンの原種に近いということだろう。
 つまりこのスープでこの黄色い麺を「なんだこれは…」と思いながら啜るのは、まさに熊本ラーメンの「原産地で食す」という実経験なのだ。


 ところで、ラーメン界の怪著「熊本の人気ラーメン88」(熊本日日新聞社発行・1993年11月1日発刊・制作及び発売は熊本日日新聞情報文化センター)ではこの店を取り上げていない。
 ここのラーメンも時代によって変化、進化を遂げて来たのだろう。おりしも1990年代前半くらいから無化調ブームがやってきた。当時はこのような原始的な熊本ラーメンはほかにもたくさんあったことから選外になったということかもしれない。けれどいま、こんなラーメンは熊本でも珍しい。この店はしっかりと今日も営業している。そこにこのお店の努力だけではなく、町麺としてこの店を支えて来た浄行寺の町の方々の愛着を思うのである。


 熊本のラーメンの源流を感じる町麺、ごちそうさまでした。

〔お店メモ〕

福岡県福岡市城南区友丘2−4−31 ラーメン大連
油山観光通沿い、その裏道辺りには地元から愛されて長く続いている町麺が数店ある。あるいみ生活文化が根付く町ともいえそうだ。ここはそのうちの一つ。
とんねるずの番組で取り上げられたのは定食のようだった。

福岡市友丘:ラーメン大連 生姜の風味が残る珠玉の町麺。

 小学生か中学生の頃の話だが。
 NHKのドラマで、お昼の時間帯にやっている銀河テレビ小説というのがあった。お昼の看板ドラマは朝やっている連続テレビ小説(「ちりとてちん」とかで有名な枠)の再放送で、そのあとに地味にやっていたドラマだった。制作費の安さがもろに感じられる作りながら、山口瞳原作の「江分利満氏の優雅な生活」など、実に渋いものをやっていた。


 その枠の郡上八幡あたりを舞台としたドラマで、都会から夢破れて帰って来た主人公が昔なじみのラーメン屋に入るくだりがあった。いろんなことが上手く行かない、そして錦を飾れずにふるさとに帰ったという気持ちが、ラーメン屋の親父さんを毒づくセリフとなって出てくる。
 「よっくもこんなまずいものを毎日毎日作ってんなあ」
 すると親父は、
 「旨かろうが不味かろうが、こっちは同じ味を毎日出すためにしっかりやってんだ」と返す。


 このシーンがなぜか30年以上も脳裏から消えずにいる。主人公の気持ちに対する親父さんの見事な切り返し。いい台本だ。そして、もう一つのことを教えてくれた。それはつまり、それぞれの町の中で、いつもの味を出すように頑張っている親父さんたちがいる。これこそがプロフェッショナルというものだということ。錦なんて飾らなくても、市井の中にプロフェッショナルがいる。


 ということで、昔から町になじんで、その町の人たちに愛されている麺を訪ねようと思ったのだ。


 その第一弾として「中華大連」を選んでみた。
 選考基準は…例によって家人がパートに出かけていて昼飯食いそびれて腹ぺこでもーどうにもこうにもならんけん15分以内で自転車で行けるところばえらんだったーい、だ。


 場所は福岡市城南区の友丘。市内の中心ではなく、また郊外というわけでもない。ずるずると住宅地が広がる一画。油山観光通りという目抜き通りに商店が軒を連ね、ダイエーヤマダ電機ユニクロが点在する。そういう町の裏通り。油山観光通りとほぼ平行して走るこの道路沿いも昔ながらの商店や居酒屋さんが並んでいる。
 そのなかにこのラーメン大連がある。



 店の姿を最初に見たときは少々たじろいだ。
 庇と店外装飾を兼ねた(多分店名入りの)テントが、大きく破れている。以前、福岡に大きな台風が来たとき(っていつだったろう)に破れたのだろうか。良く見れば、それ以外は少しくたびれたということでしかないのだけれど。


 店内はカウンター席と、テーブル席が三つばかり。本当に町の古びたラーメン屋の風情だ。とんねるずの番組でキタナトランとかに認定されたとかで、その定食セットの張り紙がある。


 「ラーメンの定食お願いします」
 昼時を外したせいで、ラーメンとご飯と餃子のセットをオーダー。
 テレビの下にあった課長島耕作の一話分読み切る前に出て来た。



 器も白っぽく、ラーメンも白っぽく、スープもフツーの感じで、見た感じ、まことに地味な面相のラーメンである。
 最初から胡椒がかけられているのは、店の方の心遣いと捉えよう。


 ではまずはスープを…。
 おっ!
 意外な濃さ、旨さだ。ちょっと塩分高めと感じるが、豚骨の滋味を引き立てる塩味で、引き際に生姜の香りがついっと残る。きっと獣臭消しの投入ブツの一つが生姜なんだろうけれど、その後口がこのスープの個性を作っている。
 うまい。


 麺は博多ラーメンとしては中太。もりもり食べられるいい麺だ。


 チャーシューは煮豚。脂身もあるが、シンプルな塩味の煮豚で、意外な厚みもあって食べ応えがある。これも箸休め、麺食いの句読点としてはなかなかいい脇役者だ。


 店の外見の凄みとも相まって、しかしこのお店が現代の競争社会の中で成り立っているというのは、ひとえにこの特徴あるラーメンがココ友丘あたりの方々に愛されているということだろう。
 そのありようも含めて、今日はいい麺を頂きました。
 ごちそうさま。

〔お店メモ〕

長崎県島原市片町567−1 ラーメンセンター島原駅前店
雲仙普賢岳の大火砕流から今年は20年。その災害で不通となり、一時は存続が危ぶまれたが見事復活して地元の足となっている島原鉄道の駅近くにある。島原駅前店とあるが、「ラーメンセンター」という名前のラーメン屋さんは長崎県内の他の地にはなく、また全国的にも全く違うお店しかない。昔はいくつかあったのだろうか。

長崎県島原市:ラーメンセンター島原駅前店 ふるさとの味を求めたら

 センターという言葉が輝いていた時代があった。

 テレビの野球中継でも、センターの選手は意外と人気があった。
 熊本育ちの僕が最初にセンターの輝きを見たのはテレビの中ではなくて、新しい総合的なバスターミナルである熊本交通センター(地上5階)が建ち上がったときだった。小学校の写生大会ではその建物を選んで描いた。青いタイルがピカピカ光っていた。

 英語でいえば「中心」「中央」である。位置的なことを示す言葉でしかないが、当時はあらゆる面白いことや新しいことがそこに集まっている、そういうイメージがセンターという言葉に感じていた。センターは新しい時代の空気が詰まったハコものだった。


 そんなセンター輝きの時代から幾星霜、いい大人になった僕は営業として長崎県内をクルマで走ったりしているのだが、先日、熊本から有明海上30キロを隔てた島原市を流していたところ、いきなり「ラーメンセンター」という看板を発見した。ラーメンセンターといえば九州ではトラック野郎が集まる、駐車場がドカーンと広い丸幸ラーメンセンターが有名だ。けれどセンターという割には、この島原のラーメンセンターは街のフツーのラーメン屋さんの風情なのである。少なくとも今の時代の諸々がここに集結している、そんな空間ではないことはイヤでも分かる。
 だからこそ、このアンバランスさを見たら入らずにいられない。


 ドアを開けて入ると、広い三和土。テーブル席が右側にあり、左側は大きめの調理場、そしてL字にそれを囲むデコラ貼りのカウンター。ま、古くからある街のラーメン屋さんの定番ですね。


 最初はデフォのラーメンを頼もうと思ったのだが、壁に貼られたメニューを見上げると「黒ラーメン」というのがある。ニンニク焦がしの麻油が加えられているらしい。


 ラーメンの仕上げに香油をたらして香りと味のニュアンスを整えるのは熊本ラーメンの特徴。昔は店ごとに工夫していた。焦がしニンニクをベースとした病み付きになるようなコクを出す麻油系。あるいはごま油の香りを前面に押し出して軽さと旨さを演出する系。最近は熊本以外でも前者の麻油を取り入れたものが流行っているようである。それがこの店にもあるというのだ。


 なれば試してみなくては。
 頼むこと5分くらい。目の前に出て来たのは、麻油といいながらあまり黒くはない美麺。

 いっただっきま〜す、とばかり最初はスープをば。
 表面にたゆとう麻油は、確かに熊本ラーメンの雰囲気を伝えるがソウルに響くほどでははない。その点はまだまだ研究途上というところ。
 ただ、基本のスープはふうわりとしていて、まろやか。博多系ではなく、また熊本系でもないところを見ると、久留米とか大牟田に近いと見た。わるかない。普段使いのラーメンとしては安心して通えるところだ。


 麺はあまり印象に残らなかった。熊本風の麻油を絡めるならば、熊本ラーメンの特徴である「麦食うぞっ!」的存在感がある麺でないと弱いのかも知れない。しかし否定的な印象も残っていないので、それはそれで美味しく食べたのだ。


 具材はチャーシューにキクラゲに煮玉子。必要にして十分な布陣。特に玉子がデフォで入っているのは熊本風である。


 食べ終わって感じたのは、熊本ラーメンの文化が域外にも伝播して行くのだなあという感慨、そして、有明海を挟んで対岸に見える熊本の街への郷愁だった。それはまさに「上野の駅へふるさとの訛を聞きに行く」という心情に他ならない。そういう気持ちになるのは想像していなかった。

 この黒ラーメン、熊本風を期待して食べると、熊本ラーメンソウルフードとしている諸兄には物足りないと思う。ただしこれはこれで一つまとまってはいるのだ。僕はこれを食べたことで熊本への郷愁と、熊本ラーメンへの欲求をかき立てられることになった。そういう食後感である。